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パリ襲撃事件から考えるべきこと。

 
 

13日の金曜日に起きたパリの事件。9.11以来の悲劇として、衝撃的な報道が世界に広がりました。
(14日午前の日本での報道の少なさも、ある意味で衝撃的でしたが)

 

多くの人が哀悼の意を表明していますが、その際にフランス国旗、あるいはその国旗のカラーが象徴的なものとして掲げられています。公共施設、webページ、あるいは個人のSNSなど。フランス色が哀悼の言葉に付随するものではなく、それ単独が哀悼の意の表明になっている場合も多く見られます。

 

しかし、フランス国旗を象徴とする画一的なあり方に疑問を感じています。犠牲者とその家族に哀悼の意を表するのは分かりますが、ではそのためにフランス国旗を持ち出す必要はあるのでしょうか。

 

Pray for JapanやPray for Nepalなど、「Pray for something」のような標語も近年よく使われます。Pray for FranceやPray for Parisはまだそれほど見ませんが、似たような標語は出てきていますし、おそらく今後広まっていくのでしょう。
こうしたスローガンの類は分かりやすく、団結を示すためには非常に効果的な方法なのかもしれませんが、一方で安易に使われすぎることに不安も感じます。

 

特に今回の例は、我々の意思や行動の及ばないところで起きる自然災害の場合とは大きく異なります。国旗を掲げたりpray for…と呟くことの簡易さが、必要なはずの事件の背景や原因への思考を停止させることに繋がったり、あるいは背景である社会的要因から自分自身を遠ざけ、どうすることもできなかった悲劇と位置付けることで社会的な責任の放棄にも繋がってはいないでしょうか。

 

もちろん多くの人はそんな他意はなく、純粋な気持ちで哀悼の意を示しているのでしょう。しかしながら、安易に国旗を象徴とすることは、「フランス vs ISIL」という国家・組織間の対立構造を強調することに繋がり、問題の本質を見失う危険性があるのではないでしょうか。
また、こうした風潮が世界に広がることは、ISILやその関係組織の国際社会に対する憎しみを増やすことにならないでしょうか。そうした結果として、新たな事件や被害が生じることを危惧しています。安易な形での意思表示が、結果として反テロリズムのイデオロギーを示すことになる可能性をもっと十分に認識する必要があるのではないでしょうか。

 

今回の事件を受けてオランド仏大統領は「戦争状態にある」と述べていますが、少なくともこれは今に始まった事ではありません。以前からフランスはISILとの戦争を宣言していますし、シリアへの空爆を行っています。11.13は9.11のように「最も悲劇的な日」かもしれませんが、同じような「最も悲劇的な日」が数年前から毎日のように続いている地域があるわけで、フランスは(あるいは日本も)少なからずそこに関与していました。攻撃したら、いつか攻撃される。その事実に異論を唱える人はいないと思いますが、今年に入ってフランスが繰り返し攻撃対象とされているのが必然であるのは明白です。日本はそこから何を学び、何をすべきなのでしょうか。

 
 

また、一部では今回の犯人を悪魔と評したり、「正義の名の下に悪を滅ぼす」に類するような言葉が飛び交っていますが、いったい何が正義で何が悪なのでしょうか。パリの銃撃で家族が殺されて生まれる憎しみや復讐心と、中東の空爆で家族を失って生まれるそれに何の違いがあるのか、少なくとも私には分かりません。

 

自分の側にいるのが正義で、その反対にいるのが悪。欧米諸国や日本への攻撃をテロと呼ぶならば、その逆は何故テロではないのでしょうか?「テロと闘う」、「テロに屈しない」と言うけれど、正義と悪が表裏一体であることを無視した理論に潜む危うさはどこまで認識されているのでしょうか。

 
 

なぜ”テロ”が生まれるのか。

 

貧困、差別、雇用の不足、そういった社会不満が一因であることは既に知られている事実です。世界がそうした問題を無視、あるいは無関心を装ってきたからこそ、今のこの現状があるはずです。

 

因果応報とかそういうことを言いたいわけではないですが、単にテロリストが悪いとか、イスラム教は怖いとか、どうやったら身を守れるかとか、そういった話ではないと思います。相手を異質なものとして、自分とは異なるものとして捉えるのではなく、いま現実に超面している問題の原因の一端が自分たちにもあるんじゃないか、ということを考える必要があるのではないでしょうか。

 

フランス色を掲げての一致団結が、世界が長年続けてきた無視と無関心に更なる拍車をかけることに繋がらないか、非常に懸念しています。

 
 

今回の事件の犠牲者と、戦争によって日々増え続ける世界中の犠牲者のために祈るとともに、新たな事件や犠牲者が増えないことを切に願います。

 
 

【追記】

他の方の記事中で、「Our Selective Grief And Outrage」(私達の選択的な悲しみや怒り=私達は何に悲しみや怒りを感じるかを”選んでいる”)という言葉に出会いました。

 

世界では毎日のように空爆や銃撃、爆破などの犠牲になっている人がいますし、パリの前日にはレバノンの首都ベイルートでも数十人が亡くなりました。しかし私は、そうした事件の度に国旗を掲げたり、プロフィール写真に国旗の色を並べたりはしません。なので今回もそうしたことはせずに、他の事件と同様に犠牲者のために祈ります。

  1. Takahide Fukuda
    11/15/2015 16:37

    FBでシェアされた記事を拝見しました。

    「パリの銃撃で家族が殺されて生まれる憎しみや復讐心と、中東の空爆で家族を失って生まれるそれに何の違いがあるのか、少なくとも私には分かりません」
    の部分に非常に同感です。

    今回の事件をきっかけにフランスが軍事介入を強化した場合、無実の市民が殺され、さらに多くの人がISに加わるように思います。

    そのようなことにならないよう願うばかりです。

    • 11/16/2015 14:16

      コメント頂きありがとうございます。

      軍事力で解決できる問題ではないことは明らかだと思うのですが、残念ながら今日もフランス軍は空爆を行ったようですね。仮にISを潰せたところで、こうした反社会的な武装勢力が出てくる原因への効果的な取り組みがなければ、また同じような組織が現れ、同じような悲劇が繰り返されるでしょう。
      そんなことはフランスも、他の欧米諸国も、あるいは日本も分かっているはずなのですが、利権や憎しみはここまで人を狂わすものなのでしょうか。

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