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何しに来たんだっけ?

  

バングラデシュに来てもうすぐ3ヶ月。任地コミラに来てからは2ヶ月。

 

今までの海外が常に短期での渡航だった僕にとって、1ヶ月を超える滞在は未知なものでした。

 

しかし住んでしまえば何てこともない、ゲストハウス住まいの短期渡航とは違って自分の家があるという安心感も手伝って、ここまでは大きな不自由もなく過ごしています。

 

一方でベンガル語レベルは相変わらず低いまま。僕の職種柄、活動関係者には医者をはじめ医療のバックグラウンドを持っていたり、あるいは修士や博士まで出ているいわゆるエリート層が多いこともあり、わりと英語が通じちゃう。

 

これが良くないんですね。困ったら英語に逃げれちゃうもんだから、ベンガル語が伸びない。

しかも都合良くベンガル語の文法の中に英単語入れて話したりするもんだから、だんだん自分が何語話してるか分からなくなってきて肝心の英語力まで低下してくる始末。

 

そんなことしてるから、地方に行って(ほぼ毎日行ってます)田舎の村人と話す時苦労してます。

活動関係の話なら単語もある程度分かるし、分からなくても推測できますが、何より雑談が一番苦手。単語力が圧倒的に足りないのに加えて、ヒアリングも一般的なベンガル人の会話スピードに耳が慣れてないもんだから、全然話が理解できない。

 

でも雑談ができないと関係性が深まらないんですね。「日本から来た偉い人」っていう認識のされ方をなかなか抜け出せなくて、「同じ立場に立って物事を考えてくれる人」になれない。

 

そんなこんなで自分の中にもたくさん問題があることを認識しつつ、そうした自分の問題を棚に上げて、自分は何しに協力隊に来たんだろうと考えていたり。

 

僕は今までアフリカ中心に渡航してきたこともあり、希望国は全て西〜中央アフリカで出しました。

 

そうした背景もあって、自分の中でのもともとの協力隊のイメージというのは、何もフィールドで砂埃にまみれながら、JICAって何かよう分からんけどとりあえずこいつは良い奴だなと思われながら、村人と一緒にあーでもないこーでもないと言って共に失敗しながら何かしら小さなものでもいいから生み出せれば、といったもの。

 

これまでの途上国での活動の中で、「日本から来た偉い人」「すごい人」と認識されることにすごく抵抗があって、もっともっとフィールドで同じ目線に立ちたくて。そういう風に認識してもらいたくて。

現場の声を無視した政治的なきな臭さが拭えない国際協力や、国民ではなく政府関係者の顔色を伺いながらの国際社会のあり方に大きな疑問を抱いて。

開発とか人間の安全保障とか国際保健医療とか、そういったことを教科書的に学んでもピンと来なくて。何か大切なものを置き去ってしまいそうな気がして。

 

だからそういった小難しいことを一旦置いて、自分の目の前の人にとって大切なものは何か、自分ができることは何なのか、そんなことを考えたくて、そんなことをしたくて協力隊を志望した。

 

だけど現状は全く違うもので。朝早くからフィールドに出掛けてはいるものの、やっていることと言えばWHOやUNICEFなどの国際機関が関わる国際事業、予防接種拡大計画の一端を担うもの。要請内容から色々とはみ出してみたりはしているものの、結局は既存の枠組みから抜け出せていない。

学校保健や環境教育にも手を出し始めてはいるものの、これもまた中途半端。

じゃあ夜はというと、6階建アパートの最上階にある自室で人間の安全保障とかMDGsのこととか考えていたり。

 

バングラという国は、国際協力に関して世界の縮図だという話を何度か聞いた。確かに官民問わず数多くの名だたるドナーがバングラに入ってきていて、国際社会の色んな思惑が渦巻く中で開発が進んでいる。先進国の利益追求によって、耐えられないほどの環境汚染が起きているのも典型的。

 

バングラに住んでいると、良くも悪くも開発に関して学ぶ機会が溢れている。

 

そういった環境の中で(そのせいにしたくはないけれど)、結局自分がやっていることは日本にいる時とあまり変わらないなと思う。現場に根付く、草の根って想像以上に難しい。

 

冒頭に書いたように、「大きな不自由なく」生活してきた3ヶ月。あと1年9ヶ月を如何に過ごすか考えないといけない。

 

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【ひとりごと】

生活レベルを下げる、って本当に難しい。身をもって感じている。

キャリアパスの選択〜国連・政府・民間NGO〜

 

国際協力に関わるキャリアパスを描く上で考えること、第2回。

 

前の記事で国際協力を行う3つの組織を紹介しましたが、今回は3つのそれぞれの特徴について。

 

 

国連で働く場合。基本的に国連の仕事は有期(期間限定)であり、数ヶ月~2年くらい。その期間が終わった後は、他の空いているポストに再度アプライして採用される必要がある。

 

政府で働く場合、一番身近なのはJICA。基本的には国家公務員とほぼ同等の待遇。国連にせよ政府にせよ、基本給に加えて色んな手当がつく場合がほとんどなので、給与的にはかなり恵まれた額をもらえる。ただしJICAが生涯雇用の形態を取っているのに対して、国連の場合は先述のように有期の仕事になるので、常に就職活動がついてまわる。だからこそ、本当に人脈やコネが重要となる。

 

それらと大きく異なるのが民間NGO。前の記事でも述べたように、国連や政府の場合は主要国あるいはその国の利害関係などのしがらみがあり、組織としての意思決定に直接関わるのが難しい、そしてアクションが非常に遅い。(また、一部を除いて国連が作る多くのガイドラインには法的拘束力がない、という事実もある。)NGOの魅力は自分の信じていることをやれる場合が多い、そしてスピード感も保てる。
一方で、給与面では非常に厳しい。日本のほぼ全てのNGO職員は平均水準以下の給与、あるいはほとんど無給という場合も珍しくない。ただし、欧米のNGOの場合はそうでなかったりもする。特にキリスト教圏では寄付文化が浸透しており、NGOにも寄付が集まりやすい。何より、政府を含めた社会からの認識のされ方が違う。政府からの委託事業があったりそれに付随して予算が流れてきたりもする。欧米のNGO職員は国連・政府職員並みの待遇を受けている場合もあるし、だからNGOと政府職員、大学教員、国連機関などのポストをグルグル回るようなキャリアの人も珍しくない。国際協力をやっていく上でそれぞれのポストにメリット・デメリットがあることを考えれば、こうしたキャリアパスが現実的に選択できるということは個人にとっても社会にとっても大きな利益だと思う。

 

そうしたキャリアパスが選択し難い今の日本の現状は、国際協力の分野で日本が抱える大きな問題だと思う。現状、NGO側に人が寄りづらい、言い換えれば国連・政府側に人が流れてしまいやすい状況を生んでいる。実際、独り身の20代のうちはNGOでも、家庭をもった30代以降ではJICA専門家などに流れてしまう場合は多い。一概にそれが悪いわけではないけれど、人の流れがそうして一方向的に制約されてしまうことで失われるものは大きい。社会全体として、官製ではなく民間主導の寄付文化の土壌育成や、国際協力への理解を広めていくようなロビー活動全般が非常に重要だと思う。あるいは個人に限って言えば、そうしたそれぞれのポストの経済状況を知った上で、ライフプラン全般を含めたキャリアパスの構築が大事になるはず。

 

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緊急援助と開発援助

 

国際協力の世界で生きていこうと考えたのが約2年前。どういう道があるのかをそこから考え始めて、青年海外協力隊の受験を選び、そして先日バングラデシュに合格しました。

その過程の中で僕自身多くのことを新しく学びましたが、一方で国際協力やってる学生であっても、仕事としての国際協力の形、あるいはそのキャリアパスについて知る機会は決して多くはないと感じました。

 

ということで、学生を終えた後も仕事として国際協力に関わり続けたいと思う人に対して少しでも役に立てばと思い、僕がキャリアパスを描く上で考えていたことを今後何回かに分けて書いてみます。

 

第1回の今回は、国際協力の形と、行っている組織の話から。

===

 

国際協力は「緊急援助」と「開発援助」の大きく2つに分かれる。

 

緊急援助は自然災害や紛争・内戦などの発生時に行われるもの。こうした緊急的状況においては、まず真っ先に食(水、食べ物)、その次に衣や住への援助、そして医療関係、さらには人権関係などの援助が行われる。国際協力の世界で良く言われる「魚を与えること、釣り方を教えること、釣れる環境を作ること」の「与えること」にあたるものが、こうした状況では行われることになる。

 

一方で開発援助は、災害や紛争などの無い比較的落ち着いた状態の国・地域で行うもの。学生団体などが行っている国際協力はほぼ全て、この開発援助にあたる。緊急援助のように外国人主体、外国人の価値観で行うものではなく、その地域のニーズや希望に応じて、そこの住民が望む形でプロジェクトを行っていくもの。

「現地の住民主導で、現地のコミュニティの中で未来永劫サイクルが回っていくような形を」、あるいは先述の「釣り方を教えることが大切」、というのはある程度まともな国際協力に関わっていれば必ず聞くことではあるけども、これは基本的には開発援助に対して言われていること。例えば教育関係のプロジェクトと言うと、現地に学校を作って、日本人が先生役として派遣されて、給食などで栄養改善も図って、という形をイメージする人も多いけれど、これでは持続可能性はゼロに等しい。日本人教師は任期が終われば帰国してしまうし、学校建設費はともかくとして維持費や教師の給料、給食費、その他諸々のお金を永遠に日本から送り続けることはできない。
だから、現地の住民の中から教師を育成する必要があるし、その教師がまた次の世代の教師を育成する必要もある。資金面においても日本からの支援によって賄うのではなく、現地のコミュニティの中から支出できるようにしていかなければならない。

そうしたことのためには、そもそも「学校を作り、維持していきたい」、つまり「学校が必要だ」と住民達が考えていることが大前提として必要となる。現地の住民を主体として外国人がそのお手伝いをさせて頂くこと、それが開発援助の本質。

 

簡単にまとめると、緊急援助は生命の危機が迫っている状況でその苦痛を軽減するために、外国人が「あげる」援助。開発援助はそこの住民が主体となり持続可能性が大切な「あげない」援助。

次に、そうした国際協力は誰が行っているのか、という話。
 

ざっくり大別すると、「国連」「政府」「民間」の3つ。そのうち国連と(日本)政府が行っているもののほとんどは開発援助。緊急援助を行っているのはほとんどが民間、例えば国境なき医師団や赤十字。国連の組織の中で例外的に緊急援助に関わっているのは(僕がいま思いつくのは)4つ。UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)、WFP(世界食料計画)、UNICEF、PKO(国連平和維持活動)。日本政府が行う数少ない緊急援助は、大規模な自然災害時に医療チームや自衛隊を派遣する「緊急援助隊」制度。一方で緊急援助の対象となるもう一方のケース、紛争に対しては憲法9条によって軍事介入ができない(この解釈が変わろうとしているけども)ので、ほとんど行われない。ときどきPKOに依頼されて、最も安全な地帯にちょっとだけ入るくらい。

 

国連、政府、民間を「スピード感」で比較すると、圧倒的に早いのは民間、つまりNGO。トップの判断でその日のうちにプロジェクトが始動し、翌日には先発隊が現場に入るなんてことも珍しくない。政府の場合は基本的には内閣で協議、法案の作成、国会での予算承認が必要なので1年ないしはそれ以上かかることも。国連の場合はもっとやっかいで、アメリカ、ロシア、中国、イギリス、フランスといった拒否権を持つ国々が拒否権を行使した時点で何もできない。米・露・中の思惑が一致することは少なく、それらの国の利害関係に大きく振り回されることが多い。つまり、政府や国連の行う援助は、援助した側にもメリットがある場合のみ行う、ということが多いということ。こういう言い方をしてしまうとすごくブラックなイメージになってしまうけれども、「双方の利益」のもとに「困っている人を助ける」という2面性が実際のところ。こういう理由で、(特に政府関係では)「国際貢献」ではなく「国際協力」という言葉が使われるのかなと僕は思っている。これに対して欧米系のNGOなどで「社会正義」という言葉が使われるのは、見返りや利益を求めることなく、人道的・道徳的な理由で行っているからだと思う。

 

それから、上記の3つに次いで挙げるべきものが「企業」。最近流行りのCSR、つまり「企業の社会的責任」が分かりやすい。単に利益を追求するだけではなく、経済、社会性、環境への配慮の3つのバランスをとること。例えばUNIQROのバングラ支援とか。

 

卒業後も仕事として国際協力を続けていく場合、国連系、政府、NGOなど色んな形があるということ、それぞれにメリット・デメリットがあるということも知っておくべき。次回はそんな話を少し詳しく書いてみます。


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