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最善を願いつつ、最悪に備える

(一部削除・修正を加えました。2015.10.16)

 
 

日本でも報道されているようですが、先日ここバングラデシュで邦人殺害事件が起こりました。

 

バングラデシュの地で志を持って日々を過ごしていたであろう日本人の殺害事件は、まだたった3ヶ月とはいえ同じくバングラデシュで活動をする身として非常に悲しく、また無念でならない。心からご冥福をお祈りいたします。

 

一方で、喪に服しているばかりいるわけにもいかず、自分の身は自分で守らなければならないのも確か。

 

こうした状況の中、記録として、ここまでの経過とそれに対する僕の今の心境を綴っておこうと思います。

 
 

【経過】
 

9月28日夜、首都ダッカでジョギング中のイタリア人がバイクに乗った何者かに銃撃され死亡。ISILバングラデシュを名乗る組織が犯行声明を発表。
現場はJICA事務所から隊員ハウスまでの中間地点。各国大使館などが置かれる外国人が多く住む地域。

 

10月3日午前、北西部ロングプールにおいてリキシャに乗った邦人がバイク3人組の銃撃され死亡。
自分自身も地方巡回活動中だったが、速やかに帰路につく。
夜になってISバングラデシュ支部を名乗る組織が犯行声明を発表。

 

10月4日、自宅待機。自宅に蓄えてあった食料等を食べて過ごす。

10月5日、最悪の場合、そのまま国外退避になる可能性も考えて私物のほぼ全てをパッキングしてダッカへ移動。午後ダッカ到着。
外務省の海外安全情報、警戒レベルが1から2へと引き上げ。

 

10月9日、先にロングプールで拘束されていた容疑者の供述によって、バングラ西部の街ラッシャヒで事件に関与したと思われる2名が新たに拘束される。

 

 

===

 

 

日本ではあまり報道されていなかったようですが、先月28日の事件発生はバングラでは非常に大きなインパクトを持って報道されました。外国人をピンポイントで狙っていたこと、人通りの多いダッカ中心部での出来事だったこと、そしてISの犯行声明が出たこと。

 

バングラで生活する日本人にとってももちろん驚きではありましたが、一方で「あくまでも欧米人、日本人ではない」といった感覚もあったように思います。日本人が欧米人同様に標的となる可能性はかねてから指摘されていましたが、まだその実感がなかった、あるいはその可能性を否定したいという思いがどこかにあったのかと思います。

 

そうこうしているうちの、10月3日。日本人にとっても、あるいはベンガル人にとっても大きな衝撃だったようです。
日本を十字軍同盟の一員として敵視する姿勢をイスラム過激派はイラク戦争以降続けていましたが、上述のように「いずれ起こるかもしれない」というのと、「実際に起きてしまった」の間には大きな違いがありました。

 

協力隊員に与えた影響も当然大きかったように思います。僕を含め「巡回型」と呼ばれる隊員は、今回の事件現場のような農村部を徒歩やリキシャで日々移動しながら活動しています。事件当日、僕も事件現場と同じような場所で活動中に緊急連絡を事務所から頂きました。自分が被害にあっていたかもしれない、ということはやはり考えてしまいます。

 

現在、事件の全貌については分からないことだらけ。
ISの犯行声明こそ出ているものの、その信憑性は不明。バングラ政府は対立野党の仕業ではないかと主張。個人的な恨みなどによる単一的な事件の可能性も捨てきれない。その前のイタリア人殺害についてはさらに不明。ダッカ市内の警戒態勢は強化されているが、事件の続報はほとんどない。

 

 

では、どう考えるか。

 

 

今後の協力隊としての活動の可否については、今回の犯行が何によって行われたかはさほど重要でないように感じます。ISにせよ、野党勢力にせよ、個人的な遺恨によるものにせよ、無差別的であったり金銭目的の事件・事故とは異なり、邦人の命がピンポイントで狙われたという事実は大きく、同様の事件が今後再び起こる可能性は十分考えられる。

 

あわせて厄介なのは、状況の改善を判断するための具体的な基準がないということ。仮に今後1ヶ月、あるいは半年間同様の事件が起きなかったとしても、それでもなお不安は拭いきれない。「いずれ起きるかもしれない」と「実際に起きてしまった」はやはり違う。一度起こってしまった以上、近いうちに再び起こる可能性は今後しばらく捨てきれない。
 

協力隊事業の性質的に、安全が高いレベルで保証されている地域での活動が協力隊員にとって必要となる。
ではこの状況の中で、協力隊事業を続ける価値はどれほどあるのだろうか。

 

縁起の良い話ではないが、隊員が屋外で(特に巡回型で)活動する場合、同様の事件に巻き込まれる可能性は十分に考えられる。

 

そうなった場合、協力隊員はもちろん、場合によってはJICA専門家や民間の駐在員などの即座の国外退避に繋がる可能性がある。そうした悲劇が起きてしまえば、JICAが、特にボランティア事業がこの国で再び再開されるには長い時間が必要となるだろう。

 

また繰り返しになるが、フィールドでの活動に対しての安全を期待できるようになるためには長い時間がかかることが見込まれる。ということは当然、自宅待機が長い間必要となる。そうなると、間違いなく「ちょっとくらいいいか」という気持ちが隊員の中に芽生えてくる。今の状況を長期間に渡って維持するのは、事務所にとっても隊員個人にとっても難しい。

 

そういう状況を考えると、一時帰国あるいは任国変更(派遣国変更)ということが選択肢に入ってきてしまう。

 

 

たった3ヶ月とはいえ、バングラの文化を学び、人々の優しさに触れ、たくさんの問題と可能性を見つけて。ここを離れるのはもちろん寂しい。できることならば、この国で2年間を全うしたいと強く願う。

 

一方で、協力隊員の任期はわずか2年。いつ活動再開できるか分からず、再開後も付きまとう不安。リスクを抱えてまで行うべき活動ではないことは重々承知。

 

ましてや、先にも書いたように、万が一が起こった場合には多くのドナーが撤退し、バングラも大きな不利益を被る。バングラ人やムスリムの優しさを知っているからこそ、彼らに対する偏見がこれ以上広がるのも避けたい。そのためにも撤退を選択肢として考える必要はある。

 

むやみやたらと怯える必要はないけれど、一方で「自分は大丈夫だろう」という根拠のない自信も考えもの。
協力隊員としての立場でここにいる以上、自らが巻き込まれた事件・事故は、バックパッカーが個人的に巻き込まれたそれとは全く異なるもの。

 

不安に耐えながらの活動は一種の満足感をもたらす。しかしそれが自己満足に過ぎないことは認識すべき。僕自身、過去にそうした失敗をしてきたけれど。
また、自分の立場や活動の意義はわきまえる必要もある。ある程度のリスクが不可避な緊急援助等とは異なり、僕らがやっているのは協力隊事業。リスクを負うべき状況なのか、リスクを避けるべき状況なのか、その判断は欠かせない。

 

もちろんこれらは個人の判断や希望だけで決まることではなく、あくまでJICAの判断を仰ぐしかないけれど。

 

 

「最善を願いつつ、最悪に備える」

 

僕にとっての「最善」は、
事態が好転し、以前のように活動を再開してバングラデシュでの2年間を全うすること。
一方で、
国外退避や任国変更といった「最悪」の事態も想定しつつ準備を進める。

 

悲観的でもなく、楽観的でもなく、そんなことを考えながら過ごしています。

 

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