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メディアはどうあるべきか。

 

最近、メディアについてあれこれ考えている。
僕の友達には、春からテレビ局や新聞社などに入社する人が何人かいて、彼らと話すときに必ず話題になるのが日本のメディアが抱える問題。

 

素人なりに、僕も色々と考えてみる。

まず、日本のメディアはいわゆる“エリート”と呼ばれる階級によって支配されている。中枢を担うのは東大・早稲田・慶応出身者ばかりで、みんな同じようなバックグラウンドと価値観ばかり持っている。これは多様性という観点からも当然問題だが、何より問題なのは官僚と同じルーツであるということ、彼らが同窓生であるということ。日本メディアの発信する情報が、政治に対峙するものよりも国民に対峙するものが多いのは、こういう部分にも原因の一端があると思う。
実際、3.11でもウォッチドッグとして全く機能していなかったし、オリンパス事件あたりでも指摘されていた。

 

ただ、これは日本に限った話では無いのかもしれない。アメリカでも、9.11の時に似た状況があったように思う。多くのメディアが愛国主義的に傾き、当時のブッシュ政権への批判がほとんどされなくなった。その結果として、イラク戦争に関する政策に十分な議論や批判が巻き起こらず、政府の暴走を止められなかった。

 

また、多くのメディアは、情報源(官僚など)ごとに専属の担当者を置き、担当となった記者は情報源とフレンドリーな関係を築くことで情報を引き出している。批判的な記事を書くことは、このフレンドリーな関係を壊しかねなく、その後のコンタクトを困難にする可能性がある。政治に対峙できないとなると、代わりに対峙するのが国民になるのは自然な流れ。これが、メディアがウォッチドッグとして機能しないもう一つの理由だと思う。
あるアメリカのジャーナリストは、「ジャーナリストはソース(情報源)に尊敬される必要がある」と言っていた。彼の言葉の真意は、そういうことなのかもしれない。

 

続く。

 

【ひとりごと】

「社会を良くしたい」という気持ちはメディアに携わる者として持って然るべき。