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Archive for the ‘自己啓発’ Category

ピースとハイライト

 

この前の大晦日、久しぶりに紅白歌合戦を見た。
何気なく見ていたらサザンオールスターズが出てきて、桑田さんがチョビ髭つけて映ってた。
その時点では何とも思わなかったんだけど、1曲目が始まってその歌詞に驚いた。

「ピースとハイライト」

非常に大きな感銘を受けると同時に、よくこんな曲をNHKで歌えたなと思ったけども、
本番直前まで出演に関して揉めていたという話を聞いて納得。

チョビ髭が何を意味するかもよく分かった。

〜〜〜
都合のいい大義名分(かいしゃく)で争いを仕掛けて
裸の王様が牛耳る世は…狂気(insane)
20世紀で懲りたはずでしょう?
燻る火種が燃え上がるだけ
〜〜〜

 

曲をもう一度聞こうと思ってYoutubeでPVを見てまた驚いた。

安倍首相やオバマ大統領、さらには朴大統領のお面まで登場してる。

 

こういった曲を発表して、さらには30年以上振りの紅白出演に引っ提げてくるサザンオールスターズ、
さらにはこれを放送したNHKの英断は本当にすばらしいと思う。

アイドルやらジャニーズばかりがランキング上位を占める日本の音楽業界だからこそ、
こういった社会問題に対して強烈なメッセージを突きつけるこういった曲は評価されるべき。

 

今回のサザンの曲で思い出されるのは、

ミスチルの「タガタメ」

だったり、

John Lennonの「Imagine」

あるいは少し毛色は違うけどLady GaGaの「born this way」

 

特定の時代で多くの人に評価される”普遍性”もいいけど、
こういった曲のように時代を超えてあらゆる世代に通ずる”普遍性”を大切にしたいと思う。

あるいは、こういった曲が歌われなくても済むような時代が来れば本当に良い。

 

【ひとりごと】

このすばらしい地球(ふるさと)に生まれ
悲しい過去も愚かな行為も
人間(ひと)は何故に忘れてしまう?
愛することを躊躇(ためら)わないで

〜ピースとハイライト〜

一流になろう

 

一流になろう。

 

一流になるための第一歩は、覚悟を決めること。

その道で生きていくと、その道で一流になると、覚悟を決めること。

言い訳も退路もいらない。

 

 

そして、自分の人生の中で起きる全てのことに責任を持つこと。

失敗を成功の母とするためには、その失敗に自ら責任を持つこと。

自分と本気で向き合い続けること。

そうすれば、他人や環境への文句を言う必要がなくなる。

 

一流になろう。

 

 

【ひとりごと】

そう決めた。そんな一日。

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自分で決めた人間が一番強い。

 

大人になるということは、現実的に生きること。

社会に出るということは、歯車の一つになるということ。


そんなことを昔聞いた。


合ってるのか間違っているのかは分からないし、

それはそれで立派なことなんだろうけども、

それでも僕はそんな人生送りたくない。


描いた夢の殉教者になるなんて僕には耐えられない。

どこまでも我武者らに、いつまでも遮二無二生きていたい。


誰に強いられるでもなく、自分の生きる理由は自ら定めて生きていく。

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科学がすごく無力なものに感じられる。

 

獣医学と社会正義をどう結びつけることができるのか分からない。
分かってたつもりだったけど、ここにきて分からなくなってる。

科学は政治に翻弄されることもあるし、科学者が意図しない使われ方をすることもある。
社会問題を直接解決するわけではなく、解決できるかもしれない人や組織を動かすだけ。

社会問題を明らかにすることは、場合によっては正義でもなんでもない、好奇心による荒しにしかならないこともあると知った。社会問題を明らかにする人たちは、必ずしもその解決を念頭に置いているわけではないと感じた。

何のために研究しているのか、分からなくなることがある。

何ができるか、どう見られたいかではなくて、何をしたいか。それが大切なのはよく分かってるつもり。
だけど、自分がしていきたいことと自分が今やってることが繋がらない。繋げようとして、繋がるような道を進んでいるつもりなんだけど、目的地への中間地点が見つからない。

科学は本当に社会を変えられるんだろうか、社会を変えるために存在しえるのだろうか、と思ってしまったりもする。

科学も社会正義も、両方とも全然まだまだ偉そうなことを言えるようなことは何も成し遂げてなくて。だからあれこれ考えてもしょうがない、とりあえず我武者らに手と足と頭を動かすこと、そう考えて少しずつ進んできたつもりだけどやっぱり苦しい。

 

 

という感じで、すごくモヤモヤしてます。
モヤモヤしてるなんて言うと、その原因までモヤモヤしてきてしまうのでほんとはあまり言いたくはないんですが、既に十分なくらいモヤモヤしてるのでまあいいやと。

研究室で一人でモヤモヤしながら一人でモヤモヤした実験してても非生産的だと感じたのと、こうやって考えてること感じてることを他人と未来の自分に向けて一方的に発信することが足りてないと感じたので、久しぶりにブログにしてみました。

 

 

久しぶりに。

 

お久しぶりです。1ヶ月半ぶりのブログです。このブログを書き始めてからこれほどまでに間があいたのは初めてですね。この間特に何があったという訳でもないんですが、ただ何となくブログを書こうという気分になりませんでした。何かを悩んでいたわけでもないし、何も考えていなかったわけでもないんですが、ただただそういうことでした。

ただ、こうして再び書いているということは、要するに再び書きたくなったわけです。4日間行っていた実習から今日帰ってきたんですが、帰りのバスの中、疲れていたのに妙に頭が冴えてしまって眠れず、4時間ほどあれこれ色んなことを考えていました。いま自分がやっていること、将来のこと、過去のこと、あるいはNOSAIのこと(今回の実習でNOSAIにもお邪魔してきました)、大動物の獣医療のこと、そして国際協力のこと、アフリカのこと、宗教のこと。よくもまあこんなにあれこれ考えれたなと思いますが、それくらい頭が冴えていました。だからなのか、両手いっぱいいっぱいのようでいて、考えていたことを全てはっきり覚えています。

ということで、またしばらく定期的にブログを書いていこうと思いますが、バスで寝れなかった反動で今とても眠いので今日はひとつだけ簡単に。

 

 

 

世の中には、ダラダラ生きている人と、そうでない人がいる。ダラダラ生きるってどういうことだろうと思うけど、思考も行動も決断も全てがダラダラしていることだと思う。日々を何となく過ごし限られた時間をただただ浪費して、社会に溢れる情報に思考が洗脳され、自分の人生を自分で定義付けられない。そういうことだと思う。そうでない人、後者はその逆。そして、勝手ながら僕の感覚で言わせてもらえば、後者に該当する人は今の社会の中で2割くらいしかいないと思う。

ダラダラ生きている人を嫌いとは言わないけど、少なくとも信用はできないし一緒に何かを作り上げようとは思えない。話していてもつまらない。逆に、全力で生きている人とは話してみてもワクワクする。

 

僕自身、大学1年生のときはダラダラ生きていた。授業に行って、試験を受けて、部活をして、バイトをして、恋もして。全て適当に過ごしていた。そのうち適当に合コンとかいってみようとか、卒業に追われるように卒論と就活を済ませることになるんだろうと思っていた。自分の生き方に芯と呼べる物はなく、生活の全てがダラダラしていて、”それっぽい”大学生活を送っていた。

そうした時期があったからこそ、いま再び強く思う。

僕自身が、もっともっと全力で生きたい。がむしゃらに、遮二無二に、無我夢中で。全力で手を動かし、全力で足を動かし、全力で頭を動かしていたい。これが、僕の全てに通じる基礎でありたい。いや、そうあろう。

 

【ひとりごと】

しばらくあきましたが、これからまたよろしくお願い致します。

 

Re:きれいごとを言う人ほど泥臭く生きている。

 

「きれいごとを言う人ほど泥臭く生きている。」

 

4ヶ月前のブログ。公開以来ずっと、未だにコンスタントに閲覧して頂いている記事。

ということで、初めてのリブログ…に失敗したのでURLを貼っておきます。

 

きれいごとを言うためには、泥臭く生きなきゃならない。

泥臭く生きる覚悟の無い人には、きれいごとは言えない。

 

泥臭く、遮二無二、無我夢中でやりましょう。

そして、最高のきれいごとをほざきたい。

 

【ひとりごと】

これが既に”きれいごと”だったりする。だから、泥臭く生きる。

 

想像と限界のその先へ。

 

いま本気か?いま限界か?

 

最近、自分に問いかけていなかった。色んなことが一段落して、一方で色んなことが新しく始まって、何となく忙しいような、何となくがんばっているような、そんなしょうもない充実感に包まれていた。

 

多くの人が普通にできることを、僕はできない。

たいての人が簡単にできることを、僕はできない。

 

余力とか、余裕とか、余らせてどうする。

余らせた分は、どんどん衰えていく。

 

100%でもまだ足りない。単なる現状維持。

常に100%のその先へ。そこに成長がある。

 

多くの人が、多くの出来事が、僕の原動力になっている。

みんな、僕の想像をはるかに超えていた。

 

だから、僕も僕自身の想像を超えていかなきゃならない。

 

 

【ひとりごと】

もう一度気づけたという点で、今日は最高の日。

 

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プレゼンテーションの可能性

 

最近、僕の中でプレゼンテーションがアツい。最近といっても半年くらい前から。
日本では近年ようやく注目されてきたけれども、世界に目を向ければそのままキャリア的な扱いを受けるくらい、プレゼンテーションの重要性は大きい。

 

大切なのは内容、というのはその通りだけれども、それだけじゃ足りない。伝え方、見せ方は非常に大切。プレゼンテーションを、しっかり勉強しよう。

 

【ひとりごと】

TEDについての記事もそのうち書きたい。

 

プラス2年と考えるか、マイナス2年と考えるか。

 

新年度ということで、5年生になりました。
入学したのが昨日のことに感じられる、とまではさすがに言いませんが、Time flies. 時間が過ぎるのは早いなと感じます。

 

自分が入学したとき、当時の5年生の先輩方をどんな風に見ていただろうか。獣医学のことをすごく知っていて、大学生活でいろんな経験をしてきていて、後輩の面倒見も良くて、すごいキラキラした存在だったんだろう。

今の自分は果たしてそうなれているのか。あと2年の大学生活で、後輩たちに何を示せるのか。そもそも、示せるほどのものを持っているのか。色んなことをグルグル考えてしまいますが、そうしたものはきっと後からついてくるんでしょう。
まずは、一日一日を大切に過ごすことから。

 

そして、それ以上に気になるのは「まだ2年大学生活がある」ということ。中学あるいは高校を出て社会に出た同級生達は、すでに”新人”ではなくなって、色んな責任を背負っている。大学進学した同級生も、その多くは今日から社会人。その中で、僕はまだ学生。社会出る前の準備期間と言えば聞こえはいいけども、単なる先延ばしにはなっていないか。学生だからこそできることがあるというけども、社会人だからできないことってあるのか。獣医師は立派な職業なんだから6年位はしょうがないと言われるけども、今を立派に過ごせない奴が将来立派になれるのか。

学生生活が2年長いと考えることと、社会人生活が2年短いと考えること。その両方をバランスよく自分の中に持っていたいと思います。

 

あと2年、駆け抜けます。

 

【ひとりごと】

入学当時の頃に見た”過去の先輩”を今超えるのではなく、”今の先輩”を今超えたい。

 

正当性・妥当性を示せていますか?ということ。

 

16日からオリンピックセンターで開かれているCHANGE weekは今日で2日目。

初日は緊張した面持ちの参加者が多かったですが、会場や雰囲気にも慣れてきたのか表情もだんだん変わってきました。みんな良い目をしている。強い意志を感じます。

 

さて、今日のsession中で、「国内にも貧困はある中で、なぜ国際協力なのか」というテーマでワールド・カフェを行いました。時間が無い中でどうにかしてワールドカフェ方式を導入しようと半ば無理矢理組み込んだので、消化不良になるかもと不安に感じていましたが、何だかんだで良い感じになりました。

本題に関してですが、海外と日本の比較だったり、あるいは共通点を探ってみたり、”海外”と”日本”という枠組みを取っ払って考えてみたり、多様な考え方が出てきていました。どれも間違ってないでしょうし正解だと思いますが、僕にとっては「枠組みを取っ払って」の考え方が一番すんなり感じられます。

 

言葉として表現しにくいのですが、活動指針としてボトムラインを定め、その状況下に陥った場合にアクションを起こしていく。アクションの方法はcase by caseになってしまうでしょうし、同一国家・民族に対しての感情的なバイアス等がかかるのは不可避かもしれませんが、正当性・妥当性はある程度示せるものだと思います。

 

「私たちは○○のために○○の活動をしています」というのも当然大切ですが、その活動の正当性や妥当性を内外(自分自身も含め)に対して示せるというのは、内外から絶えず噴出する懐疑的な声に屈することなく一貫性のある効果的な活動を継続していく上で非常に重要なことだと思います。

 

【ひとりごと】

国内にも貧困はたくさんある。