あけまして。
あけましておめでとうございます。
昨年は多くの方々に大変お世話になりました。今年もどうぞよろしくお願い致します。
2014年。
大学生活最後の年ということで、今まで色んな所で散らかしてきた事を納めねばと思いつつ、
新しくやりたいこと、続けたい事も出来てきて楽しくてんやわんやになりながら、
一方で迫り来るあらゆるデッドラインをクオリティを担保しながらパスしつつ。
卒論やら就活やらで6年生は時間がないものだと思っていましたが、
結果的には過去最高に手も足も頭も動かし続けたと自負しています。
もちろんその過程には多くの人の支えがあったことは多いに自覚し、また感謝していますが、
そういったものを上手く呼び込めるようになったのも2014年の収穫の一つでした。
2015年。
大きな変化の年ではありますが、まずは国家試験です。
たかが国試、されど国試。頑張ります。
【ひとりごと】
今年は未年、年男です。何か良い事がありそうな予感。
随所に主となる
自分が取り組んでいるものに対して、
「何のためにやっているんだろう、自分の将来には関係ない」
そんなことを考えてしまうことがある。
けれど、今やっていること、取り組んでいるものは、自分が過去に選択した結果であり、縁があったもの。
巡り巡って、いずれ点が線になる。あるいは、自ら点を線にする。さらには、線から面をも生み出す。
周りの人や環境に対してああだこうだ言うのではなく、
与えられたものとして真摯に向き合い、かつ自らの軸はぶれないように。
そんなことをずっと考えてきたら、先日素敵な言葉を頂いた。
「随所に主となる」
いつどこにあっても、如何なる場合であっても主体性をもって真実の自己であること。
決して外界の喧噪に巻き込まれたり翻弄されたりせずに、自らの歩みを続けること。
さらには、
24時間365日に追われ使われるのではなく、24時間365日を使いこなすこと。
昼夜の垣根が薄れた現代社会の渦に巻き込まれて、主体性もなく忙しく過ごしている場合ではない。
何をもって自分の人生とするのか、何に価値を重んじるのか。
己こそ己自身の主である。
己こそ自身の拠り所である。
己がよく制御されたならば、人は得難き主を得る。
もっともっと、意識していこう。
来年からバングラデシュに行きます
卒業後の進路が決まりました。
先日JICAから青年海外協力隊の合格通知を頂き、来年から2年間バングラデシュで働きます。
派遣先はバングラ東部、インドとの国境に近い地域の保健衛生事務所。業務内容は結核、ジフテリア、百日咳、破傷風、ポリオ、麻疹、B型肝炎などの予防接種事業、あるいは下痢症全般に関わる対策プログラムの計画立案から実施、モニタリング、評価まで。
特にポリオは撲滅宣言まであと一歩まで来ている一方、近隣のインドあるいはパキスタンなどからの伝播も危惧されており、今年5月にはWHOが緊急事態宣言を出しているホットなトピックです。
http://www.cnn.co.jp/world/35047477.html
ただ実は、本当は将来のキャリアパスを考えた上で「アフリカ、フランス語圏、熱帯感染症 or HIV/AIDS対策」を希望していました。希望とは異なるものになってしまったことで合格通知を頂いた直後は悩みもしましたが、今は非常にバングラ行きを楽しみにしています。
こうして決まったのも何かの縁でしょうし、バングラはパキスタン・フィリピンと並ぶ「プロジェクトが上手くいかないアジア三大地域」の1つであり、時間へのルーズさや日本人との公共心の差など、アフリカに通ずるものも多くあります。また、イスラム教徒が8割というのも一昨年の中東での経験を生かせそうですし、残り2割のヒンドゥーには未だ触れたことがなく非常に興味深くもあります。要請はされていませんがマラリアやデング熱、チクングニア熱の流行もあるようなので、保健所勤務の強みを生かしてそうした仕事も自分でアレンジしていけるかもしれません。
そうしたことも踏まえて改めて考えてみて、将来的にアフリカに関わっていく上でまずはアジアを一度経験しておくのもいいものなのかもしれないと思うようになりました。
ということで、ベンガル語とカバディの国で2年間もがき楽しんできます。
今回の協力隊受験、そして進路決定に際して多くのご支援やご指導、また温かい励ましの言葉を頂いた皆様、本当にありがとうございました。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。
科学がすごく無力なものに感じられる。
獣医学と社会正義をどう結びつけることができるのか分からない。
分かってたつもりだったけど、ここにきて分からなくなってる。
科学は政治に翻弄されることもあるし、科学者が意図しない使われ方をすることもある。
社会問題を直接解決するわけではなく、解決できるかもしれない人や組織を動かすだけ。
社会問題を明らかにすることは、場合によっては正義でもなんでもない、好奇心による荒しにしかならないこともあると知った。社会問題を明らかにする人たちは、必ずしもその解決を念頭に置いているわけではないと感じた。
何のために研究しているのか、分からなくなることがある。
何ができるか、どう見られたいかではなくて、何をしたいか。それが大切なのはよく分かってるつもり。
だけど、自分がしていきたいことと自分が今やってることが繋がらない。繋げようとして、繋がるような道を進んでいるつもりなんだけど、目的地への中間地点が見つからない。
科学は本当に社会を変えられるんだろうか、社会を変えるために存在しえるのだろうか、と思ってしまったりもする。
科学も社会正義も、両方とも全然まだまだ偉そうなことを言えるようなことは何も成し遂げてなくて。だからあれこれ考えてもしょうがない、とりあえず我武者らに手と足と頭を動かすこと、そう考えて少しずつ進んできたつもりだけどやっぱり苦しい。
という感じで、すごくモヤモヤしてます。
モヤモヤしてるなんて言うと、その原因までモヤモヤしてきてしまうのでほんとはあまり言いたくはないんですが、既に十分なくらいモヤモヤしてるのでまあいいやと。
研究室で一人でモヤモヤしながら一人でモヤモヤした実験してても非生産的だと感じたのと、こうやって考えてること感じてることを他人と未来の自分に向けて一方的に発信することが足りてないと感じたので、久しぶりにブログにしてみました。
「報連相」と「優先順位」
小さい頃から、「報連相」と「優先順位」は強く意識してきたと自分で思う。ただ、そうしたことの大切さを自分で気づけたわけではなく、周りの大人に教えられてきた。特に「報連相」に関しては、父親から徹底されていたように思う。報連相をしっかりしながら生じた問題に対しては全力でサポートしてくれたけど、報連相を怠った時には問題が生じたことよりも先にそれを責められた。
優先順位はそうして伝えられたものではなかったけど、自ら自然と優先順位をつけざるを得ない環境においてもらえた。子供の頃、クラスのみんなのお小遣いが月いくらなのか、お年玉を含めてお小遣い以外の臨時収入がどれくらいあるのか、お互いに聞き合って、みんなそんなものかと安心したり、想像以上にみんながもらっていることに驚いたり。そうした経験は誰しもあると思う。僕は常に後者だった。我が家が特別貧しい家庭だったというわけではないけれども、両親の教育方針だったのか、一ヶ月のお小遣いも、お年玉も、常にクラスの最下層だった。お小遣いアップを直訴したこともあったけど、そうしたら「お手伝いしたら10円」制度が導入された。額としては微々たるものだったけども、それでもお小遣いが増えるのは嬉しかったし、今にして思えば自分で働いてその対価を得るということを感覚的に学べたのはすごくよかった。
そうした状況は一人暮らしをしている今も変わらなくて、生活費は全て自分で稼いでいる。仕送りをもらっている周りの多くを見ると羨ましく思うこともあるし、たとえ学費は両親に払ってもらっていたとしても、それでも自分のお金で生活していることには一種の自信めいたものも感じている。自分の生活費は自分で払う。さらにその上で、色んな活動をして、旅もしている。そのために、徹底している「優先順位」。これがないと生活が成り立たないし、プラスアルファの活動に資金が回せない。時間だけでなく、お金に関してもひたすら優先順位。だから、そうして優先したものは本当に大切なものだし、ムダにはできない。
大変そう、と言われることもあるけれど、自分の与えられた環境・境遇を如何に楽しむか、活用できるか。それが大事だと学んでいる。そういう意味で、“お金が多すぎない”今の生活に、そしてそうした環境を与えてくれた両親にすごく感謝している。
【ひとりごと】
全部ひとりごと。
久しぶりに。
お久しぶりです。1ヶ月半ぶりのブログです。このブログを書き始めてからこれほどまでに間があいたのは初めてですね。この間特に何があったという訳でもないんですが、ただ何となくブログを書こうという気分になりませんでした。何かを悩んでいたわけでもないし、何も考えていなかったわけでもないんですが、ただただそういうことでした。
ただ、こうして再び書いているということは、要するに再び書きたくなったわけです。4日間行っていた実習から今日帰ってきたんですが、帰りのバスの中、疲れていたのに妙に頭が冴えてしまって眠れず、4時間ほどあれこれ色んなことを考えていました。いま自分がやっていること、将来のこと、過去のこと、あるいはNOSAIのこと(今回の実習でNOSAIにもお邪魔してきました)、大動物の獣医療のこと、そして国際協力のこと、アフリカのこと、宗教のこと。よくもまあこんなにあれこれ考えれたなと思いますが、それくらい頭が冴えていました。だからなのか、両手いっぱいいっぱいのようでいて、考えていたことを全てはっきり覚えています。
ということで、またしばらく定期的にブログを書いていこうと思いますが、バスで寝れなかった反動で今とても眠いので今日はひとつだけ簡単に。
世の中には、ダラダラ生きている人と、そうでない人がいる。ダラダラ生きるってどういうことだろうと思うけど、思考も行動も決断も全てがダラダラしていることだと思う。日々を何となく過ごし限られた時間をただただ浪費して、社会に溢れる情報に思考が洗脳され、自分の人生を自分で定義付けられない。そういうことだと思う。そうでない人、後者はその逆。そして、勝手ながら僕の感覚で言わせてもらえば、後者に該当する人は今の社会の中で2割くらいしかいないと思う。
ダラダラ生きている人を嫌いとは言わないけど、少なくとも信用はできないし一緒に何かを作り上げようとは思えない。話していてもつまらない。逆に、全力で生きている人とは話してみてもワクワクする。
僕自身、大学1年生のときはダラダラ生きていた。授業に行って、試験を受けて、部活をして、バイトをして、恋もして。全て適当に過ごしていた。そのうち適当に合コンとかいってみようとか、卒業に追われるように卒論と就活を済ませることになるんだろうと思っていた。自分の生き方に芯と呼べる物はなく、生活の全てがダラダラしていて、”それっぽい”大学生活を送っていた。
そうした時期があったからこそ、いま再び強く思う。
僕自身が、もっともっと全力で生きたい。がむしゃらに、遮二無二に、無我夢中で。全力で手を動かし、全力で足を動かし、全力で頭を動かしていたい。これが、僕の全てに通じる基礎でありたい。いや、そうあろう。
【ひとりごと】
しばらくあきましたが、これからまたよろしくお願い致します。
GW、充実しています。
今年のGWも終盤ですね。
と言っても、実感の伴わない完全な人事です(笑)
僕は研究室とバイト、そして食事とシャワーと睡眠のためだけの帰宅を繰り返すいつも通りの日々を送っています。いつもと違うのは、授業が無いので色んなことがサクサク進むということくらいでしょうか。
思えば、去年や一昨年もあんまり変わらなかった気がします。ちょっと変わったのは、家で行っていた会議やメールチェック、書類作成が研究室で行われるようになったことくらい。年末年始やお盆も似たような感じですし、ここ3年くらい社会から完全に乖離している気がします(笑)
ただ、今日気がついたことがひとつ。
先月1日から正式に研究室に配属して頂きましたが、4月2日に札幌に帰ってきて以降、土日祝日を含めて研究室に行かなかった日が一日たりとも無いということ。休みの日に行くことを強要されたりはしてないですし、そんなに毎日行かなきゃどうにもならないような状況でもないんですが、自然と毎日行ってます。
つまり、好きなんでしょうね。こうして、苦せずして自分の意志としてやっていられること、最高ですね。本当にありがたいことだと思います。ということで、なんだかんだで僕にとってはこれが充実したGWなんでしょうね(笑)
【ひとりごと】
楽しいだけじゃなくて、その先に結果を出さなきゃならない。
実体験が無いのに納得などできない。
理解と納得は違う。
理解はできても、自分自身が体験したことがなければ納得はできない。ピンとこない。そんなことあってたまるか、と思う。
それでも、理路整然とした説明によって理解はできてしまう。それがまた悔しい。
社会を変えるのは政治家であり、生活を変えるのは企業である。
フリーランスはそれには及ばない。フリーランスには、社会も生活も変えられない。
すごくよく理解できる。多分、その通りなんだと思う。だけど、納得したくない。
なぜなら、僕はまだそのどちらでもないから。
どっちかになれば、あるいは両方経験すれば、納得するのかも。納得できてしまうのかも。
だけどさらに、じゃあ学生はどうなんだろう?とも思ってしまう。
同年代でも、すでに社会や生活に影響を与え、その在り方を変えている人はいる。
それに比べて、学生である僕は、社会にとって無の存在。僕が生まれてからのこの22年と、僕がもし生まれていなかった場合の22年は、社会にとって全く同じもの。1991年3月に中田北斗が生まれようが生まれまいが、この社会は2013年4月に全く同じものになっている。
だけどそれでも、やっぱり僕は社会を変えたいと願う。
【ひとりごと】
色んなことがグチャグチャしている。この文章もグチャグチャ。全然整理できてない。
でも、それでいい。今は、そういう時。ここから生まれるものがある。
第3次反抗期
社会の全てを知ったような顔をしながら、しばしば顔を覗かせる脆さ。
若さは意識的であってはならない。
気がつけば、嫌でも滲み出てしまうもの。
それが鬱陶しくて、気恥ずかしくて、また背伸びをする。
踵ひとつ分の見栄と虚勢。
昨日の夜、布団の中でそんな言葉がふと頭に浮かんだ。
【ひとりごと】
まだ22歳?
想像と限界のその先へ。
いま本気か?いま限界か?
最近、自分に問いかけていなかった。色んなことが一段落して、一方で色んなことが新しく始まって、何となく忙しいような、何となくがんばっているような、そんなしょうもない充実感に包まれていた。
多くの人が普通にできることを、僕はできない。
たいての人が簡単にできることを、僕はできない。
余力とか、余裕とか、余らせてどうする。
余らせた分は、どんどん衰えていく。
100%でもまだ足りない。単なる現状維持。
常に100%のその先へ。そこに成長がある。
多くの人が、多くの出来事が、僕の原動力になっている。
みんな、僕の想像をはるかに超えていた。
だから、僕も僕自身の想像を超えていかなきゃならない。
【ひとりごと】
もう一度気づけたという点で、今日は最高の日。