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同じ目線には立てない

 

「生活レベルが下がるってのは、今まで贅沢だと思っていたことができなくなるのではなくて、今まで当たり前だと思っていたことが贅沢になること。」

 

 

 

数年前に聞いて、以来ずっと心に残っている言葉。
圧倒的に恵まれた日本の環境で育ってきた僕にとって、生活レベルが低いということを具体的に想像することは難しかった。

 

ザンビアでの生活が始まって4ヶ月。
協力隊の本質の一つは、現地のコミュニティの中で、彼らと同じ生活レベルで2年間を過ごすということ。これは他の枠組みの海外派遣ではなかなか得難い経験であり、僕が協力隊を志望した理由の一つでもある。

 

僕が現在住んでいるのは南部州の州都チョマから35kmほど離れた農村地帯。幸いなことにローカルマーケットが近くにあり、果物は無いものの野菜類ならすぐ手に入る環境。肉類を扱う店もあり(牛、鶏、インパラのどれか1種類しか置いてないが)、小さな飲み屋も2軒ほどある。

僕の家には電気・水道が通っているが、停電は毎日のように起こり、断水も頻繁。井戸から水を汲む生活が当たり前。家の前にはブロックと石でかまどを作り、炭と拾ってきた木で火を起こす。冷蔵庫やテレビはもちろん無く、家にあるもので家具と呼べるのは小さな机と椅子、ベッド、一口の電気コンロくらい。朝と昼は適当に自炊し、夜は隣の大家の家で毎晩ご馳走になっている。

 

こうして書くとそれなりに途上国っぽい生活をしているようにも思えるが、やはり決定的に違う部分もある。

パソコン、インターネットはやっぱり手放せない。一眼レフも大切。音質の良いSONYのウォークマンとイヤホン。
そうした点では日本と大して変わらない生活をしていることもあり、生活は非常に楽。ここで2年間生活することは何の問題もない。同じことは、去年バングラデシュで4ヶ月過ごした時にも感じた。

少なからず生活レベルは下がっているのかもしれないが、それも2年間という期限つきだから気にならないのだと思う。あと1年もすれば、停電も断水もなく、綺麗で高品質のものすぐに手に入り、WiFiが早くて電化製品に囲まれた日本の生活に戻れる。仮にこの環境でこの生活を10年、20年、あるいは50年続ける予定だとしたら、もっともっと色んなことがストレスに感じるのかもしれない。あるいは、腹をくくってもっと適応できるのか?

 

 

色んな途上国を自分の足で回り、自分の目で見て、自分の肌で感じてきた。自分に何ができるんだろうと思いを巡らせながら、色んな角度から活動をしてきた。だけどその全てにおいて、自分が所詮”外国人”だというある種のコンプレックスを感じてきた。
いくら日本で学んでも、途上国を一時見て回っても、僕が住むのは先進国。先進国の人間である自分に途上国のことは絶対に分からない、同じ目線には絶対に立てないと思っていた。
だから、協力隊。途上国の環境に2年間住むことで、彼らと生活を共有することで、何か見えるものがあると思った。

 

協力隊任期の折り返しを迎える今感じることは、やっぱり僕は”外国人”だということ。
アフリカの全てが楽しい。一方で、生活も言葉も食事も文化も全て、一番自分に合うのは日本だと分かった。
そして、途上国の人々と想いや感情を共有することはできても、彼らの背負っているものを同じように背負うことはできないと感じた。中途半端な共感は、むしろ”外国人”である自分の違和を強めることにもなる。

 

同じ目線で物事を見ようとすることは非常に大切。
だけどそれと同じくらい、全く同じ目線には立てないという前提からスタートすることも大切なのかもしれない。

 

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