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Archive for 09/06/2014

緊急援助と開発援助

 

国際協力の世界で生きていこうと考えたのが約2年前。どういう道があるのかをそこから考え始めて、青年海外協力隊の受験を選び、そして先日バングラデシュに合格しました。

その過程の中で僕自身多くのことを新しく学びましたが、一方で国際協力やってる学生であっても、仕事としての国際協力の形、あるいはそのキャリアパスについて知る機会は決して多くはないと感じました。

 

ということで、学生を終えた後も仕事として国際協力に関わり続けたいと思う人に対して少しでも役に立てばと思い、僕がキャリアパスを描く上で考えていたことを今後何回かに分けて書いてみます。

 

第1回の今回は、国際協力の形と、行っている組織の話から。

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国際協力は「緊急援助」と「開発援助」の大きく2つに分かれる。

 

緊急援助は自然災害や紛争・内戦などの発生時に行われるもの。こうした緊急的状況においては、まず真っ先に食(水、食べ物)、その次に衣や住への援助、そして医療関係、さらには人権関係などの援助が行われる。国際協力の世界で良く言われる「魚を与えること、釣り方を教えること、釣れる環境を作ること」の「与えること」にあたるものが、こうした状況では行われることになる。

 

一方で開発援助は、災害や紛争などの無い比較的落ち着いた状態の国・地域で行うもの。学生団体などが行っている国際協力はほぼ全て、この開発援助にあたる。緊急援助のように外国人主体、外国人の価値観で行うものではなく、その地域のニーズや希望に応じて、そこの住民が望む形でプロジェクトを行っていくもの。

「現地の住民主導で、現地のコミュニティの中で未来永劫サイクルが回っていくような形を」、あるいは先述の「釣り方を教えることが大切」、というのはある程度まともな国際協力に関わっていれば必ず聞くことではあるけども、これは基本的には開発援助に対して言われていること。例えば教育関係のプロジェクトと言うと、現地に学校を作って、日本人が先生役として派遣されて、給食などで栄養改善も図って、という形をイメージする人も多いけれど、これでは持続可能性はゼロに等しい。日本人教師は任期が終われば帰国してしまうし、学校建設費はともかくとして維持費や教師の給料、給食費、その他諸々のお金を永遠に日本から送り続けることはできない。
だから、現地の住民の中から教師を育成する必要があるし、その教師がまた次の世代の教師を育成する必要もある。資金面においても日本からの支援によって賄うのではなく、現地のコミュニティの中から支出できるようにしていかなければならない。

そうしたことのためには、そもそも「学校を作り、維持していきたい」、つまり「学校が必要だ」と住民達が考えていることが大前提として必要となる。現地の住民を主体として外国人がそのお手伝いをさせて頂くこと、それが開発援助の本質。

 

簡単にまとめると、緊急援助は生命の危機が迫っている状況でその苦痛を軽減するために、外国人が「あげる」援助。開発援助はそこの住民が主体となり持続可能性が大切な「あげない」援助。

次に、そうした国際協力は誰が行っているのか、という話。
 

ざっくり大別すると、「国連」「政府」「民間」の3つ。そのうち国連と(日本)政府が行っているもののほとんどは開発援助。緊急援助を行っているのはほとんどが民間、例えば国境なき医師団や赤十字。国連の組織の中で例外的に緊急援助に関わっているのは(僕がいま思いつくのは)4つ。UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)、WFP(世界食料計画)、UNICEF、PKO(国連平和維持活動)。日本政府が行う数少ない緊急援助は、大規模な自然災害時に医療チームや自衛隊を派遣する「緊急援助隊」制度。一方で緊急援助の対象となるもう一方のケース、紛争に対しては憲法9条によって軍事介入ができない(この解釈が変わろうとしているけども)ので、ほとんど行われない。ときどきPKOに依頼されて、最も安全な地帯にちょっとだけ入るくらい。

 

国連、政府、民間を「スピード感」で比較すると、圧倒的に早いのは民間、つまりNGO。トップの判断でその日のうちにプロジェクトが始動し、翌日には先発隊が現場に入るなんてことも珍しくない。政府の場合は基本的には内閣で協議、法案の作成、国会での予算承認が必要なので1年ないしはそれ以上かかることも。国連の場合はもっとやっかいで、アメリカ、ロシア、中国、イギリス、フランスといった拒否権を持つ国々が拒否権を行使した時点で何もできない。米・露・中の思惑が一致することは少なく、それらの国の利害関係に大きく振り回されることが多い。つまり、政府や国連の行う援助は、援助した側にもメリットがある場合のみ行う、ということが多いということ。こういう言い方をしてしまうとすごくブラックなイメージになってしまうけれども、「双方の利益」のもとに「困っている人を助ける」という2面性が実際のところ。こういう理由で、(特に政府関係では)「国際貢献」ではなく「国際協力」という言葉が使われるのかなと僕は思っている。これに対して欧米系のNGOなどで「社会正義」という言葉が使われるのは、見返りや利益を求めることなく、人道的・道徳的な理由で行っているからだと思う。

 

それから、上記の3つに次いで挙げるべきものが「企業」。最近流行りのCSR、つまり「企業の社会的責任」が分かりやすい。単に利益を追求するだけではなく、経済、社会性、環境への配慮の3つのバランスをとること。例えばUNIQROのバングラ支援とか。

 

卒業後も仕事として国際協力を続けていく場合、国連系、政府、NGOなど色んな形があるということ、それぞれにメリット・デメリットがあるということも知っておくべき。次回はそんな話を少し詳しく書いてみます。


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