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銃を考える。
野生動物の狩猟に関して、話をする機会がありました。
仕事として狩猟をしている人、趣味として狩猟をしている人、まあいろんな形があると思います。あるいはその捉え方にもいろいろあるでしょう。狩猟に関して、何が正しいとか何が間違っているとか、一概に言えるものではないでしょうが、野生動物保護、人との共生、生態系の保全、色んな面から真摯に向き合わなければならないものです。銃による狩猟は、決して否定できるものではなく、むしろ必要なものでしょう。
それは、分かっている。ただ、どうしても”銃”というものには嫌悪感を感じずにはいられない。
武器は人類の歴史的にもはるか昔から存在していて、人類の繁栄に貢献してきた。文明の誕生後、武器はどんどん形を変え、殺傷能力を高め、そして銃が生まれた。現代社会で銃の担う役割は、非常に大きなものであり続けている。
だからこそ、嫌いなのかもしれない。手軽に便利に効率よく、命を奪ってしまうことができる銃、その”手軽感”や”利便性”、”効率性”が嫌なんだと思う。野生動物の狩猟も含め、場面によってはそれは必要なことなんだろうけども、でもやっぱり違和感は拭えない。
命ってそういうものか?人の作った道具によって、そんなに簡単に失わせることができていいものなのか?
多分、そう感じるのは銃を向け合う人たちを見てきたから、あるいは僕自身が銃を向けられたことがあるからかもしれない。銃の多様な使われ方を同じ物差しで測ることはできないだろうけど、僕のもつ銃のイメージは感覚的にあらゆる分野において適用されてしまう。
まあ結局のところ、銃そのものが悪いのではなくて、その使われ方あるいは使う人間のほうに問題があるんだろう。正しい使われ方をすれば、銃は確かにすばらしいものなのかもしれない。けど、正しい使い方ってはたしてなんなんだろう。銃が存在する限り、正しくない使われ方をするのは明らかではないのか。銃って、必要なのか?
【ひとりごと】
僕の中で、すごくぐちゃぐちゃしている問題。論理的な思考と、感覚的なものと、そのバランスが取れてない。もっともっと、考えなきゃならない。