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Archive for 2013年1月

ドッキング・シュミレーション

 

ドッキング・シュミレーションについての講義を聞いてきました。
本来であれば大学院カリキュラムの授業だったのですが、僕がこれから扱おうとしている研究テーマで活用できそうとのことだったで、ご厚意に甘えて参加させて頂きました。

ドッキング・シュミレーション。聞き慣れない言葉かもしれませんが、簡単に言うと、予想される分子間相互作用からin silicoにおいて結合様式や結合部位を予測する、というもの。アミノ酸配列からのタンパク質立体構造予測なんかはもっと一般的で、予想される構造は高校の参考書とかにも載ってたりしたと思いますが、それをもうちょっと複雑にしたもの。

 

なんて、分かったような書き方してますが、実際は全然分かってない。今日の授業で何となくは理解しましたが、それでもまだまだ感覚的なレベルであって、自分の中に落とし込むには程遠いようです。
ただ、これを使いこなせたら研究を進める上で多いに助けになってくれそうなことは分かったので、これからまた勉強していこうと思います。

 

【ひとりごと】

ひとつずつ、自分のものにしていく。

 

農水へ行こう!!

 

獣医学生の皆様へ、素敵なイベントの紹介です。

 

誰しも一度は耳にしたことがあろう「国家公務員」。
興味はあっても、国家公務員の知り合いは身近にはなかなかいなかったり、どういう仕事か知っている人は意外と少ないんでないでしょうか?
あるいは国家公務員になる気がなくても、国を動かす中枢で獣医師がどういう働きをしているかを知ることは、きっと何かの形で生きてくるのではないでしょうか?

 

というわけで、農林水産省に行ってみませんか?

 

僕が去年会長を務めていた日本獣医学生協会(JAVS)と、農林水産省とがコラボして実現したイベント。その名も…

農水へ行こう!!

 

農林水産省で農水職員さんと話ができる機会はなかなかないでしょう。
春休み中の開催でもあるので、興味がある人は是非!
ただし人数制限もあるので、お申し込みはお早めに!

 

詳細、申込は以下のリンクを参照下さい。

農水へ行こう!!

 

志は響き合う。

 

彼には彼の選択があって、僕には僕の選択があった。

選んだ道は違えども、それぞれの道を歩みながら、志は響き合う。

 

大切なのは、関わり続けるということ。

太かったり細かったり、薄かったり濃かったり、どんな形でもいい。

終息ありとも、長く、永く。

 

 

【ひとりごと】

今日はそんな日。

 

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生姜湯

 

1ヶ月程ずっと引きずっていた風邪。
生姜湯を飲むようにしていたら、ようやく少しずつ良くなってきました。

 

健康って、本当に大切。
と、実感するのは果たして何度目でしょうかw

 

今日はそれだけ。笑

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収入ってそんなに大切なんですか?

 

こういうタイトルを掲げると、社会の厳しさを分かっていないとか、まだ若いからとか、そういうことを言われるのかもしれません。それでも、わざわざ掲げてみます。

 

僕は今、大学4年生。
幸か不幸か普通の大学生よりもちょっと長めに大学生活が用意されている獣医学生も、そろそろ進路を考え始める時期です。特に最近は、研究室配属が決まり身近な6年生の卒業も近いということで、僕の周りでも進路に関する話がちらほら聞こえてきます。

 

そこで、ちょっと驚いていることが。
進路を考える上で、僕が思っていた以上に、”収入”というのがみんなにとってプライオリティが高いんだということ。

労働の対価である収入はもちろん大切だろうし、生きていくために、食っていくために不可欠なものであることも分かる。
けど、”やりたいこと”に対しての”収入”の優先度の高さには本当に驚いている。社会保障とか保険のことはまた別だろうけど。結婚もまだ、扶養家族もまだいないうちから、初任給ばかりが気になってしまう。今の日本社会の現状はそういうことなんだなあと実感する。

 

バブル崩壊後の社会で育ってきた僕らの世代、堅実思考の中で生きてきたということも影響しているんでしょう。
不安定な先行きの中では、そうした思考が先にたってしまうのもしょうがないんでしょう。

 

以前も書いた「”社会のために、次の世代のために”と考える若者が少ない」というのは、こういうところにも起因しているんでしょうか。社会のことまで、他人のことまで考えていられないというのが、今の社会に生きる若者の現状なんでしょうか。

 

なんだかなあ、と少し寂しく思う。

 

 

【ひとりごと】

それじゃあいつまでたっても変わらない。

 

 

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テロと向き合う。

 

連日報道されているアルジェリアの事件。

 

カダフィ政権の崩壊以降、アルジェリア国内特に国境付近の危険性が日に日に増していることは一部の筋ではずっと噂されていたけど、本当に起こってしまうとは…。しかも被害にあったのは観光客ではなく専門家。警備体制も万全と思われていた中での悲劇は、本当に衝撃的です。

 

安倍首相は「無辜の市民を巻き込んだ卑劣なテロ行為は、決して許されるものではなく、断固として非難します。我が国は、引き続き、国際社会と連携して、テロと闘う決意です」とのコメントを残している。

 

21世紀になって「テロと闘う」という言葉を何度聞いたのだろう。テロと闘うとは、いったいどういうことなのだろう。アラブ社会から欧米諸国への攻撃が”テロ”であり、欧米諸国からアラブ諸国への攻撃は”正義”である。そんな言葉もたくさん聞いてきた。きっと、アラブ諸国から見るとそれは全くの逆なのだろう。そんなことを考えると、そもそもテロとは何かが分からなくなる。

 

正義と悪という対比構造は、一見簡単なものに見えるけど実はすごく難しい。一方からは正義に見えるものは、もう一方から見れば悪になる。正義から見て反対側にあるものが悪である一方で、反対側の正義から見ればその逆が悪になる。

だけど、その複雑な対比構造の中に居るのはたくさんの人間達であって、一人の人間である。正義と悪という対比構造が存在する限り、その中の人たち全員が幸福になることはありえない。

必要なのは、テロと闘うことではなく、テロと向き合うことなんだと思う。
対比構造の反対側を憎むのではなく、対比構造そのものを憎むことなんだと思う。

 

尊い命が失われたこと、本当に心が痛みます。
心よりご冥福をお祈りします。

 

センター試験。

 

センター試験でしたね。

 

もう4年前。なんだかすごく懐かしく感じますが、今でもはっきり覚えています。
後にも先にも、あんなに緊張した試験はセンター試験の1日目だけです。1年間の疲労がピークにあったというのもありますが、昼食は一口も喉を通らなかったし、夕方の英語の時間には吐き気まで感じてました。

だからというわけではないですが1日目の結果は最悪でしたし、4教科400点満点を狙っていた2日目もその目標には届かず、僕にとってセンター試験はあまり良い思い出にはなりませんでした。

 

けど一方で、それがあったから今があるとも思います。

「結果が全てじゃない」なんていう使い古されたような言葉は受験生の心にはなかなか届きにくいのかもしれませんが、真摯に取り組んだ成果はいつかきっと何かの形で花を咲かせると思います。

 

たかが受験。されど受験。
色んな捉え方があると思いますが、良かったにせよ悪かったにせよ、手にした結果を受け止めてまた次のステップに進んでいってもらえたらと思います。

 

 

【ひとりごと】

お疲れさま。

 

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自分を奏でる。

 

他人のもっている選択肢なんて、他人に選んでもらえばいい。
他人の歩いている道なんて、他人に進んでもらえばいい。

 

自分にしかできないことを。
自分にしか歩けない人生を。

 

選択肢は、与えられるものじゃない。落ちているものでもない。
選択肢は、自分で作るもの。

 

精一杯、自分を奏でよう。

 

カテゴリー:自己啓発, 人生、生き方

新成人おめでとう。未来に幸あれ。

 

昨日と今日は、全国各地で成人式が開かれたようですね。天気に恵まれなかったりもしたみたいですが、式自体は無事に執り行われたようでよかったです。新成人のみんな、心からおめでとう。

 

ちなみに札幌の成人式は今日だったんですが、偶然にも後輩達の姿を見ることができました。外見だけでも昔と比べてみんな成長していて、きっと中身はもっと成長しているんだろうなと思って勝手に嬉しくなっちゃいました。同時に、2年前の僕もこんな感じだったんだろうな、と少し恥ずかしくも思いました。

 

 

何となく昔の手帳を開いてみたら、2年前の成人式で僕が感じていたことがメモされていました。
ちょっと読みづらい文章だったので、今の僕の言葉で代弁する形になりますが、こんなようなことが書かれていました。

 

成人式は20歳を迎えた若者にとって大きな節目であり、素敵な晴れ舞台だと思う。一方で、ただの節目でしかないことも確か。成人式を迎えたからといって、その日を境に心身が急激に変化するわけではない。それは成人式に限らず、20歳の誕生日もそう。法的には飲酒や喫煙が合法化されるけど、本質的には何も変わってない。
一方で、社会的責務や義務は急に身近なものになる。社会からは一人の成人として認識され、社会の中で自分の道を切り開いて生きていくことになる。社会に対して自分が何をできるのか、社会から自分は何をもって認められるのか、社会から自分はどうやって認識されるのか。そういうことを考えていかなきゃならない。
心も体も急には変えられないけど、せめて意識だけは変えなきゃならない。これから、僕たちの時代をつくっていく。これから、僕たちが社会をつくっていく。

 

 

あれから2年。僕はどれだけ変わったんだろう。
2年前の僕に、今の僕は何を報告できるんだろう。

 

まだまだ若者と呼ばれる年齢ではあるけども、死に向かって着実に近づいているのも確か。のんびりしている場合はない。残りの約60年、全力で駆け抜けたいと心から思う。

 

そんな感じで心を新たにできた。今日はすごくいい日。

 

 

【ひとりごと】

死ぬまでに、ナカタホクトはどこまで到達できるんだろう。
ずっとずっと成長していった先の最終到達点から自分の進んできた道を振り返る時、いったい何を感じるんだろう。
死ぬまでずっと、風を感じていたい。

 

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Africa。アフリカ。あふりか。阿弗利加。

 

facebookを見ていて、とある人の書き込みが目に留まりました。

 

アフリカアフリカとみんな簡単に言うけど、アフリカって大陸なんだよ。いったい何カ国がアフリカにあって、いったいいくつの部族がアフリカに居るのか分かっているのか。

 

と、ナイジェリア人に怒られたと。

 

僕も昔、似たようなことを言われたことを思い出しました。
けど、確かにその通り。アフリカ大陸どころか、一つの国の中でさえたくさんの部族と宗教と言語が溢れている。アフリカ行きたいとか、アフリカ人と話したいとか、日本人がそういうこと言うのはまあ勝手だろうし悪いことだとは思わないけど、アフリカに住む人たちが必ずしもいい気持ちにならないのも確か。日本人だって、欧米人にアジアとか東アジアとか広く括られて話されることに抵抗感じる人もいるでしょう。日本と中国と韓国と北朝鮮と…全く違いますからね。

 

かく言う僕も、アフリカって言葉はついつい乱用しちゃってます。少し具体的に言えば西アフリカの方に一番行ってみたいとは思っているんだけど、じゃあ西アフリカの国家や民族のひとつひとつについて知ってることは?って聞かれたら全然答えられない。アフリカ大好き!とか言っているけど、実際行ったことあるのはエジプトのシナイ半島のあたりだけ。そもそもシナイ半島ってアフリカか?ってレベル。なんだか自分勝手だなあと思う。

 

けど、そうやって考えれば考えるほど、アフリカにますます魅了されていく。自分勝手なのかもしれないけど、偽りの無い、真っ直ぐな気持ち。もっともっと掘り下げていきたい。自分の中のアフリカを、もっとリアルに感じたい。もっとリアルに描きたい。そして、アフリカに行こう。

 

 

【ひとりごと】

今年の夏に行きたいなあ。